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先日、長崎に出張。ホテルに缶詰のワークショップへの参加が目的で、ホテルから一歩も外に出られなかったが、窓からは長崎湾の絶景が拝めた。今年は遠藤周作の「沈黙」も映画化されて、長崎ブーム、隠れキリシタンブームとなるかも知れない。
九州の隠れキリシタンは誰でも知っているが、実は関東平野にも多くのキリシタンがいた。もちろん禁教前には大勢いただろうが、禁教後も半ば黙認された隠れキリシタンとして、関東平野に散在していた。

この辺の事は、古河の郷土史家であった川島恂二氏の「関東平野の隠れキリシタン」に詳しい。龍蔵寺にも調査にこられ、数ページが割かれている。

川島氏によると、次の写真はいずれも隠れキリシタンの墓なのだそうだ。

左の子供抱いた観音像は、いわゆる「マリア観音」とのことで、左膝のあたりに十字に見える襞がある。右の観音様も、手元に不自然な横線があり、これも十字の一部であるらしい。太ももあたりにも十字が見て取れる。

残念なことに、檀家さんから「うちはもともと隠れキリシタンで」というような話は聞いたことがない。
どこかで棄教したか、同化してしまったのだろう。利根川の過酷な河川改修工事や生産性の低い土地での農業に従事させられたというから、徐々に数も減ったのかもしれない。

いずれにしても、誰が見ても「見れば分かる」ような墓を作らせ、またそれを旦那寺が認めていたということは、ある種の共存関係があったと見るべきだろう。このあたりの大らかさが日本の宗教観の特徴なのだろう。