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想定外。1000年に一度の災害にどう備えるか?

これまでも100年に一度程度の地震、津波への対策は随分とやられてきました。そういう意味で、今回起きた1000年に一度の地震に対し、それらが何の役にも立たなかったのは、当然のことで想定してきたことです。こういう地震が起きればこうなるということは分かっていたわけです。では、なぜ1000年に一度の地震への対応が取られなかったかというと、お金がかかり過ぎるのと、やはり1000年に一度という時間のスケールを、人間は実感を持って捉えることができなかったからだと思います。
いま、復興ということで、いろいろなことが議論され始めました。とりあえず100年に一度の地震への備えを整えるのか、1000年に一度の地震に備えるのか、明確な結論は出ていないように思いますが、実際に被災した方々の心情を考えると、非常に難しい選択にならざるを得ません。
100年に一度でよければ、従来の方法を踏襲し、昔通りの場所に住み続けることができるかも知れない。しかし、被災した記憶を思えば、果たして安心できるのか。一方、1000年に一度に向けた対策は、莫大な費用をかけてさらに巨大に防潮堤を築くか、高台への移住しか選択肢はありません。我々が受けた衝撃を考えれば、おそらく後者の組み合わせが選択されるでしょう。
さて、ここで問題となるのは、1000年という時間のスケールです。1000前といえば、平安時代末期。藤原氏が権勢を誇った時代です。1000年後に防潮堤が機能し、人々が高台に住み続けている確立は、それこそ0に近いように思います。高台への移住はこれまでも行われてきましたが、不便ということでみな港の側に戻ってしまいました。1000年間、防潮堤をメンテナンスし続けることが、果たして可能なのか。可能かも知れないし、難しいかも知れない。想定不可能であることは確かなように思います。
ここで一度、私たちの周りにある1000年前の遺物何か? 何か1000年以上残っているのか? ということをもう一度考えてみるべきでしょう。そうすれば1000年後のために何ができるの
見えてくるように思います。
私が思いつくのは、まずは寺、祠、石像の地蔵といった祈りの施設、神話や物語、そういうものです。
津波が至った最奥部に鎮魂の寺を建て慰霊とする。被災してお亡くなりになった場所に地蔵を彫り安置していく。1000年後にもそういうものなら、残っている確立が高いように思います。そして、そういう物と経験を結び、語り継がれる神話。
そういうものも、また大切なのではないかと思います。

1 Comment

都築 政克 · 2012年2月8日 at 13:30

初めて、突然メールをします。
失礼と思いますが、ご住職宛ににメールさせて頂きました。
先週号の週刊ポストを読み、大変、興味がありご連絡しました。
ご住職が、他宗教の創価学会の原点を調べようと思った動機
は、何だったのかをお尋ねしたいと思っております。
実は、我々も自発的かつ個人的かつ非営利的な立場で、
調査活動を進めております。
いかなる組織とも関係ありません。
お取次ぎ願えれば幸いであります。
仕事は、余談ですが、保育園を経営しております。
この仕事とも関係は、全くありません。

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