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工学院大学の藤森先生に高過庵と神長官守矢史料館をご案内頂く機会を得た。
近代技術を使いつつも表には絶対に見せないように作ったとのこと。
守矢家は諏訪大社の神官の家系で先代までは実際に神官を務めていた。折角なので古事記に出てくる国譲りの話しとの関係を先生に聞いてみると非常に面白い話しをしてくれた。
古事記では、出雲の国譲りの時大国主命の次男が天津神に破れ諏訪に逃れ、諏訪から出てこないことを約束し許されるという話がでてくる。なぜ諏訪なの? という話である。
次男の建御名方神はおそらく一族軍勢をつれて撤退し、辿り着いたのが諏訪ということなのだが、当然諏訪には先住民がいる。この一族の有力者が守矢家というわけである。民族大移動の玉突き状態。普通なら先住民は皆殺しとなるのだが、建御名方神(諏方氏)にもその力はなかったようで、守矢家に協力を求める。諏方氏は優れた稲作技術を持っており、妥協が成立したというのである。そして諏方家は諏訪大社の宮司となり、守矢家は神官となって実務を取り仕切るというある種の分業体制ができあがったというのである。
面白いのは、このニ家の2000年来の対立が現在も続いているということ。守矢家の敷地には、生け垣で見えないようになっているが、諏方家を呪詛する祠が今もあり、その少し山側にはどういうわけか諏方家の墓所がある。先祖の霊を使って守矢家を封じようとしたらしい。神長官守矢史料館のオープニング時も、諏方家の宮司さんが来られたらしいのだが、そそくさと帰っていったらしい。かなり初期の頃に、守矢家には諏方家から養子が入って血統的には同族らしいのだが、家が血統より強いのはいかにも日本的。
このこの日の午後に、日下公人氏の講演があったのだが、その中に
・来年は世界中でアイデンティティ・クライシスが起きる
・ちゃんとした歴史と伝統がある日本ではアイデンティティ・クライシスが起きない
・日本には問題がない
というような話があったのだが、2000年前の当事者の子孫が未だに当地にいて、当事者として存続している我が国には、確かに歴史もアイデンティティーもしっかりあるように思う。これは本当にすごいことだ。

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