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建築学会の委員会でご一緒している大林組の今井氏のブータン調査の報告が、建築家の伊藤寛氏の生田の事務所であるとのことで、土曜日の夕方、入試がらみの会議の後に出かけることにした。ブータンには以前から興味があったし、今井さんの語りも面白そうで。また伊藤さんも学生の時分に少し接点があり、ちょくちょく顔を合わせている。折角なので、博士課程の木原君も誘った。生田の駅に着いた時には、外は既に暗く小雨も降っていた。分かりにくいのでご注意を! と聞かされていた氏の事務所は、生田の表通りから、幅2mほどの路地を左に入り、急に田舎風になった辺りを数分歩いた、最期は階段を50段ほど上がった所にあった。表通りから曲がるところで1回。路地に入ってからもう一回、曲がるところを間違えて、ご忠告は無駄にしてしまった。伊藤さんの事務所兼自宅は、今井氏いわく名建築とのことなのだが、時刻も7時前とあってすっかり暗く、外観は全く見えない。建物についてはまた今度ちゃんと拝見しよう。
さて、細い路地から玄関へは、幅50cmほどの露地でつながっている。路地は階段の途中で、そこから露地へは擁壁をひょいと上がる感じでややけもの道風。1階は事務所の入口で、開けると人が15人ほどぎっしり。奧は地下から吹き抜けになっているようで、大きなスクリーンをバックに、民族衣装を着た今井さんがすでに話しを始めている。会場は吹き抜けの段差を立体的に利用してなかなか面白い設え。建物は崖地に建っているようで、事務所は地下1階と1階、ご自宅は2階で外から庭の階段を上がってはいる。
さて、ブータン報告である。建築家の古市徹先生を団長に、難波先生なども加えた曲者集団。ブータン政府の招聘とのことで、古市先生の調査報告と、ブータン政府建設省関係者との意見交換がメインで、見学ツアーも企画されていたよう。ブータンの民族衣装「ゴ」(女性は「キラ」)に身を包んだ今井さんが、写真を解説する形で1時間ほど話しを聞いた。
ブータンはサンスクリットで高地という意味で、インド側目線の国名。彼らは自国を「ドゥック・ユル」と呼ぶ。チベット仏教カギュ派の分派、ドゥク派の国という意味。人口は約70万人で国土は4800km2と九州程度。ヒマラヤ山脈の南側にあり、北側はチベット。衛星写真でみると、チベット側は荒涼とした乾燥地帯であるのに対し、ブータン側は緑に被われ、今井さんの写真でも水田が広がる温帯地域という印象。都市も山間の小都市という感じだが、周りの山が予想外になだらかなので、昔の日本の地方都市の様。水田の整理がされておらず、あぜ道が曲がりくねっているところもどこか懐かしい。
ブータンは国境を中国(チベット)と接しているが国交はない。安全保障常任理事国とはいずれも国交がないとのこと。日本とは勿論ある。ブータンは中国、インド、ネパール(直接は接していない)に挟まれ、政治的にも微妙な関係にある。民族的にはチベット系が多いのだネパール系も多い。ネパール人は19世紀末にイギリス系のプランテーションの労働力として連れられてきたものが、ブータン方面にも入植したと考えられているが、現在では人口の40%程度を占め一大勢力となっている。1950年代前まではネパールとの間に、シッキム王国というチベット系の王国があったのだが、同様にネパール系住民が増え、彼らの権利拡大要求や民主化要求の混乱からインドの介入を許し、現在はインドの一部となっている。インドはネパールやブータンを中国との緩衝地帯として重要視しているのだが、混乱して中国に取られる位なら、自国に併合するという姿勢だったわけである。このような隣国の悲劇を見ていたブータンは、チベット系の文化でもって国家統合を推進することを決定し、民族衣装「ゴ」の着用強制や伝統文化や礼儀作法の遵守などが制度化かされている。これにネパール系住民は反発し、政府がそれを弾圧する形で、1990年以降10万人以上の難民がインドやネパールに逃げ込んでいる。総人口70万人の内の10万人なのでかなりの割合なのだが、ブータン政府は何処吹く風という姿勢。しかし、ブータンがおかれた厳しい状況を考えると、この姿勢もある程度理解できる。現に中国との関係で見れば、人口密度の低い北部に中国が着々と道路を冬虫夏草採集の為と称して勝手に敷設、以前は国内としてた地域が2006年には中国領とされ、抗議むなしく国土を18%ほど失っている。日本の尖閣諸島と似たような状況といえるが、ブータンは実際に国土を失った訳で、ブータン国王夫妻が日本に新婚旅行に来たのも、ある種のネットワーク作りではないかと思う。ネパール系にしても、本国は人口3000万人とブータンの40倍。その背後にはインドが控えているわけで、ブータン南部のネパール系住民の増加は、我々が考える以上にプレッシャーだったのではないかと思う。そういう意味では、GNP(グロス・ナショナル・ハピネス:国民総幸福量)に代表される牧歌的なイメージは、帝国主義の残渣が感じられるこの地域で生き残るための冷徹な戦略ではないか。
「デフレの正体」で有名な藻谷浩介は、市場経済社会を補完するセイフティーネットとして「里山資本主義」を評価・提唱しているが、価値観としては非常に共通している。数世代かけて市場経済主義の限界を学び、里山へ回帰しつつある日本と、国王というエリート階層主導で、一気に近代的里山資本主義に持っていこうとしているのとの違いではないか。
そういう意味で、月尾嘉男先生が以前、ブータンは明治維新の時に、日本が取り得たかも知れない選択肢を実験している。と仰っていたが、まさにその通りなのではないかと思う。

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