無垢な子供の死について

突然の死には、いつの場合も狼狽してしまうものだが、このところの子供の死は、本当に痛ましい。
神戸の女の子の死や、御嶽山に登山中だった子供の死をどう考えたら良いのか。
仏教ではすべてを因果で説明しようとする。結果には原因がある。
大人であれば、どのように真っ直ぐに生きてきたとしても、多少の罪は犯しているもので、何とか納得することはできても、小さな、無垢な子供たちの死をどう考えたら良いのか。
前世の悪行の結果とする考えもある。さらには親を悲しませたとして、さらに罪を重ねたと考える事もある。しかしいずれも釈然としない。納得できるものではない。無垢な子供はやはり極楽に往生したのだと思いたい。
往生・成仏まであと少しのところで前世を終えてこの世に転生し、早々に善行を積んで往生・成仏。最後の仕事として、親兄弟、周りの人々が、以降善行を積み、よりよい人生が送れるよう、そう願って少し早めにあの世に旅立った。
残された我々は、その思いに報いる生き方をしなければ。
一歳になる我が子を見ていると、つくづくそう思います。

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