副住職 講演録1 会の川の一年

先日は、小生のお話の会を無事に終えることが出来ました。
出席して聞いてくださった方には、篤く御礼申し上げます。
台風の最中、また衆院選挙の投票日とも重なりましたのに、足をお運び頂き、本当に有難うございました。
お寺としてもお話の会の最中に、境内の老松が風に煽られて倒れるというハプニングがあり、記録に残る1日となります。

お話の会としては珍しく、PPTを使ってプレゼンしたのですが、新たに作成した資料もあり、少しご紹介をしたいと思います。

会の川の一年

お寺の近くを流れる会の川は、加須にとっても、お寺にとっても、実は非常に大切な川です。お寺から真っ直ぐ南下した所にかかる徒歩橋は、龍蔵寺に参詣するときは、ここで籠や馬を下りて、先は徒歩で歩くという目印でした。なので徒歩(かち)橋というわけです。今でいう乗り換えの駅のようなところで、橋の南側には八百屋や豆腐屋、酒屋、スナックなどが今でも並んでいますが、それはその名残かも知れません。ここから北は龍蔵寺、総願寺と続きますので、ある種の聖域と見なされていたようです。
この会の川にかかるコンクリートの橋は、昭和4年~10年にかけて建設されたもので、築80年以上経ちます。これら会の川の橋梁群は、土木学会[日本の近代土木遺産]に認定されており、加須市にとっても誇るべき文化遺産といえると思いますが、どれだけの方がこのことをご存じでしょうか?
会の川そのものも、歴史的には非常に重要です。元々は上利根川の支流だった会の川は、1594年上利根川から水が流れ込まないようする工事が行われます。会の川締め切りと呼ばれる工事で、利根川の瀬替え(東遷事業)の発端とされています(最近の研究ではどうやら違うようだとされていますが、加須びいきとしてそのままにしておきましょう)。当時利根川は、江戸湾に注ぐ大河で、そのために江戸北部は湿地帯になっていました。徳川家康はその利根川を銚子の方に付け替えることで水量を減らし、江戸の灌漑を進めようとしたわけです。つまり利根川東遷は、江戸が発展出来た土台ともいえる大土木事業で、その発端が会の川締め切りにあったわけです。

そう考えると、この地域、加須市周辺は、日本の土木事業の歴史において大変重要なところで、土木を学ぶ学生、研究者は必ず訪れる場所!! となっても不思議ではないと思います。

さて、会の川を加須市民は大切にしているか? と考えるとあまり大切にしていないように感じます。現在の扱いは農業用水ですが、市街地をながれるにかかわらず、汚水も流れ込んで水質もかなり悪いというのが現状です。

加須市では、周辺を綺麗にして欲しいと県に陳情したりしているようですが、あまり変化はありません。
少し前に、会の川を一年間ほど撮影してその変化を見てみたことがあります。4月には桜がさき、季節と共に緑が紅葉したりしてなかなか変化があります。水位の方も大きく変化して、田植えの頃には大変な流量がありますが、冬にはかなり少なくなります。
いわゆる多自然型護岸、あるいは魚巣ブロックかもしれませんが、そういった工夫もこの10年ほどの間になされていますが、水位の変化もありあまり機能していない様です。水門もあるので、水位を調整するのはあまり難しくないはずですが、水の制御と周辺の環境整備を一体的に考えないと、上手くいかないという例だと思います。

もう一度綺麗な水を取り戻す、例えば「子ども達が泳げる!(を目標に)」川を取り戻す、といった共感できる目的を掲げながら、周辺の環境もすこしづつ改良していく努力が必要なのではないかと思います。

 

 

つづく

 

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