TEL:0480-61-0850
FAX:0480-62-7900
info@ryuzoji.jp

その1では、いきなり会の川の話を書きましたが、本番では加須の人口を少し調べてご紹介しました。
加須市の人口は現在11.2万人ですが、市役所は2040年には9.1万人、つまりこれから20年程かけて約20%減少すると予測しています。人口の予測はもっとも精度の高い予測の1つですし、加須に大量の移民が来るとも思えませんので、大きく外れることはないでしょう。この人口減少を前に、多くの人が世の中が大きく変わる、とおののいてしまうわけですが、その変化がどの程度のものなのかは、歴史を見ないことには相対化出来ません。
下のグラフは、旧加須市の人口と騎西、北川辺、大利根のこれまでの人口の変化を示したもの(一部推計も入ってます)です。1875年(明治8年)の人口は約4.5万人ですから、この142年間の間に加須市の人口は約2.5倍に増加したことになります。特に1965年以降の人口増は著しく、約50年間で1.5倍になっています。平均すると年約1%程度の人口増があったわけです。特に1985年から1990年は増加のピークで、5年間で8000人も人口が増えています。
こうやって人口のグラフを書いてその波を眺めてみますと、異常なのはこの50年、特にこの30年間の人口の伸びのほうで、これから起きる人口減少はそれに比べればまだマイルドだということが分かります。仮に1875年から1935年までの緩やかな増加がそのまま延びていたらどうなっていたか、おそらく8万人くらいのところで安定化したのではないかと思います。こう考えると、これからの50年間は異常に増えてしまった人口を、どう本来のあるべき姿であった8万人程度にソフトランディングさせるかが課題であり、どのようなまちづくりをすれば、8万人が幸せに暮らすことが出来るかを考えることが大切です。

 

すこし大きな話になりますが、世界的に見ても人口が自然に減るのは珍しい現象で、日本は課題先進国と呼ばれます。しかしこれも歴史を見ると何度か人口減少フェーズがあったことが知られています。人間が火や狩猟技術を手に入れることで人類は最初の人口増フェースを迎えます。日本で言えば縄文時代ですが、この間日本の人口は約26万人、今の加須市と久喜市を併せた程度の人口が全国に散らばっていました。ある程度技術が進化して人口が増加すると、人口がその技術で養える上限に達することから人口が増減しない安定期入ります。縄文時代は非常に長く安定が続きました。しかしある程度安定が続くと、次第に人口が減りはじめることが知られています。ある種の停滞を迎え、生活レベルを維持するために人口を減らすのではないかと推測されていますが、時に気候変動も加わり急減することがあります。例えば縄文時代から弥生時代に移るとき、主たる原因は気候変動でしたが、人口は8万人にまで減ったと言われています。そのいわば人口圧縮期に農業革命が生まれます。農業による生産力の拡大で養える人口が急増します。世界的に見ればこの農業革命により都市が生まれ古代文明が栄えることになります。しかし、この農業革命による人口増もやがて安定期に入ります。非常に面白いのが、この人口の安定期に心の革命があります。精神革命と呼ばれますが、心の改革にこの成長なき時代を乗り越えようとします。物質的な豊かさの増加が期待できない中、人はどうすれば幸せになれるのか。その成果が仏教でありキリスト教でありイスラム教に代表される世界宗教だったわけです。そして第3の波が産業革命です。

このように、過去の超長期の人口の波を見てみますと、人口増の時代はモノとお金が中心の時代、それに続く安定期はココロとコトの時代、そしてその次は人口を圧縮して次の展開に備える時代であったことが分かります。現在の日本はココロとコトの時代への遷移と人口減少期に同時期に猛スピードで突入したと考えれば、これから我々がどうすべきかも見えてくるように思います。

 

つづく。