壇信徒とは

壇信徒とは檀家と信徒を合わせた言葉です。

檀家とはお寺のスポンサーのことで、一般にはお寺にお墓があるファミリーのことです。信徒とはお釈迦様や法然上人の教えを信じて信仰し、お寺にご縁があったり住職に帰依したりする方をいいます。まずは信徒になって、次第に縁を深めてお寺にお墓も有するような本格的なご縁になると檀家になります。実情では、檀家さんの中にも別の宗教を信仰される方もおられますのでもう少し複雑なのですが、お寺に関係する全ての方に呼びかける場合、ここでは壇信徒とお呼びします。

檀家とは檀那家の略で、檀那とはインドの古い言葉、サンスクリット語の「ダーナ」を音写したものです。「ダーナ」とは「贈る」「与える」という意味です。つまり檀家とは「贈る人(家族)」「与える人(家族)」ということになります。仏道修行の第一は布施行(喜捨:他の人に喜びを与える行為の実践)ですので、すなわち檀家とは布施行を通じ仏道修行をする人や家族、ということになります。

壇信徒の中には、いやいやそんなプロセスは踏んでいないよ。とおっしゃる方も多いかと思いますが、そもそもはというと、こういうことになります。しかし現代の檀家制度というと、また違った説明になってきます。

現代の檀家制度は徳川家康が作ったものです。家康が生きた戦国時代というのは、死がすぐそばにあった時代ですから、信仰も大変盛り上がりました。特に浄土真宗は各地に寺を中心とするコミュニティーを形成し、加賀では一国を支配する強大な勢力にもなりました。比叡山などの有力寺院も荘園や通行料を通じて経済を支配して強大な権力を持っていました。これらの勢力に苦しめられたのが、織田信長であり、その後継者である秀吉、家康だったわけです。家康も若い時に一向一揆に苦しめられ、宗教の結束力の怖さを思い知っていました。

家康が天下を握ると、このようにエネルギーがあった仏教勢力を懐柔しようとします。その政策が寺請制度というものです。お寺にお役所の機能を持たせ、全ての民衆がいずれかの寺の檀家になることを義務づけたのです。戸籍の管理や旅券の発行なども寺の役割となり、寺は安定した手数料収入を得られるようになります。また、貴族や一部の特権階級のみが行っていた回忌法要や墓の設置などを民衆にも広め、季節の付け届けなど細かい決まり事を習慣化しました。いずれもお寺を経済的に支援し、幕府に反抗しないようにするためのものです。この政策は見事に成功し江戸時代には宗教がらみの反乱や抵抗はほとんど見られません。その一方で仏事や祭は民衆の暮らしの中に深く浸透し、江戸末期に日本を訪れた多くの外国人が驚いた、高度な倫理規範を持つ高い民度、芳醇な文化、そして豊かな信仰生活を実現したわけです。一方でこの寺請け制度は、一部の僧侶の堕落を生むことになりました。この堕落への不信が、明治維新時の廃仏毀釈で爆発したともいわれています。

明治維新時、龍蔵寺では逆に廃仏毀釈で廃寺となった羽生の大聖院から山門などを買い取っています。関東でも廃仏毀釈の嵐が吹き荒れていましたが、龍蔵寺では逆に壇信徒が団結し、境内の整備が進められていたわけです。このことを考えると、龍蔵寺と檀家の関係が非常に良く、住職も尊敬されていたのではないかと思います。

龍蔵寺は平成二九年で建立六六二年目となります。家康が作った檀家制度は少しずつ形を変えながら、現在も寺を支える基盤として生きています。しかしその基盤も、三〇〇年近い家康以前の歴史の中で、龍蔵寺と壇信徒の皆様との間に築かれた信頼関係と信仰の上に建っているのだと思います。壇信徒の中には、まさにこの長い時間を寺と共にされてきた方々の子孫、ご家族も多くおられます。

寺を守る者としましては、このような歴史と、歴代住職が築いた壇信徒との信頼関係、信仰の伝統を守りながら、現在を生きる壇信徒の皆様と、私たちの寺・龍蔵寺を創っていきたいと考えております。

副住職

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