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私の素性が坊さんだと分かると、結構な割合で「修行大変ですよね~、滝に打たれたりして」と言われます。そんなことはしませんと答えると、皆さんちょっと残念そうな顔をされます。お坊さんというと、そういう荒行の末に悟ることを目指すものと勘違いされているようです。実はお釈迦様もそういう修行を随分とされたと伝わっています。断食をしてガリガリになったお釈迦様の仏像をご覧になった方も多いでしょう。他にも逆さに吊されたり、針の上に座ったり。

荒行といわれるような、滝に打たれたり、ガリガリになるまで断食したり。しかしお釈迦様はそういう荒行のおかげで悟りに至ったのではなく、「これじゃダメだ!」と方針転換して悟りに至りました。その方針転換が非常に独創的で、後に仏教と言われるようになったわけです。よって坊さんはそんなことしません。

 

「苦に浸るでもなく、楽に溺れるのでもなく。修行に励め。」

 

これがお釈迦さまの最初の教えでした。これを中道といいます。

中には、滝に打たれたり、千日回峰のような荒行を行ったりする坊さんもいますが、仏教の教えというよりは日本の修験道の影響で、日本仏教独特のものです。

では、荒行をするでもなく、快楽にふけるでもなく、何をしろと教えているのかというと、

 

悪いことをせず

良いおこないをし

こころを清くたもちなさい

(諸悪莫作・衆善奉行・自浄其意・是諸仏教)

 

ソクラテスの言葉にも「ただ生きるな、善く生きよ」というのがありますが、同じことを言っているように思います。

なんでもないことですが、日々の自分の行いを省みると、これを続けることが実に大変で難しいことか分かります。何でもないことをちゃんと続ける。これがお釈迦さまの最初の教えでした。

後で少しふれますが、法然上人の教えも、専修念仏(他の修行はいらない。ただ念仏を続けよという教え)という教えを説きましたが、これにしてもするのは簡単ですが、続けるのは大変なことです。

毎日の暮らしのなかで自分を律し、よりよい人間に成長しようとする行い。これが仏教の根本です。

P.S.
中道の考えは、その後さらに発展して「中観」という考えに結実します。
くわしく知りたい人は、龍樹というインド人僧が書いた「中論」という本をお薦めします。


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お釈迦さまの教え – 無着山 龍光院 龍蔵寺 · 2016年11月6日 at 17:08

[…] 中道 […]

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