毎日忙しく過ごしていても、年に一度くらいはご先祖様やご両親を思い出して挨拶に出かけ、年に一度くらいは自分のことだけでなく、周りや他の人に施しをする。そんな年に一度の罪滅ぼしの機会がお盆やお施餓鬼です。お盆は亡くなった母親を餓鬼道から救うために餓鬼に施し、お施餓鬼は自分の延命のために、餓鬼に施しをします。施しを通じた利他こそが幸せの鍵であることをこれらの行事は教えようとしているわけです。
近年、現代的な学問として幸福を考えようとする幸福学においても、これが正しいことが明らかになっています。我々からすると、こんな当たり前のことさえ、学問として探求しなければ分からないほど、現代社会は自分を見失っているのだろうと思います。
世の中は、自分を大切にしろ、自分のことを第一に考えなさいと教えます。ともすれば他人の利益は自分の不利益とばかりに、自分本位の利己主義を優先させがちです。しかし仏教では自分を大切にすることと利他は矛盾しないと考えます。「自他一如」という言葉があります。一如とは一見別の、二つであるはずのものが、実は一つになっていることを指します。「自分」を深く追求するほど、それが他者との繋がりの中にあることに気がつきます。このことは、家族や会社のしがらみから解放され、個や自分を満喫できるはずの若者ほど、「繋がり」や「居場所」、あるいは「空気」といったものに敏感で、それを求めて苦しんでいることからも分かります。それは個人主義や利己主義が知らないうちに大切な人を傷つけ、それがめぐって自分を苦しめているからです。
自分にできる利他とは何か、そんなことを考える時間を持つことができれば、今年のお盆も素晴らしいものになるのではないかと思います。