月かげのいたらぬさとはなけれどもながむる人のこころにぞすむ
夏が終わり、あっという間に秋がやってまいりました。しかも初秋というよりは晩秋の気配です。境内の銀杏の紅葉はまだ先ですが、過ごしやすいこの季節を少しでも愉しみたいものです。
この季節は月もことさら美しい。中秋は9月ですが、二番目に美しいとされる十三夜は今年は10月15日だそうです。十五夜は何もせずに過ごしてしまいましたので、この機会はぜ見上げたいと思います。
法然上人のお歌に
『月かげのいたらぬさとはなけれども ながむる人のこころにぞすむ』
があります。浄土集の歌にもなっています。
月かげ というのは月の光りのことで、佛様の慈悲の象徴です。
月がよく見えるのは夜ですが、夜はすなわち、苦しみに満ちた私たちの生活を表しています。仏の慈悲が、苦界を生きるすべての人々に差別なく向けられていることを表しています。後半は受け手である人間についてです。いつも出ている月も上を向いて眺めて初めてそこにあることに気がつく。仏の慈悲を受けるにも、上を向く必要があると説いている訳です。それはつまり、救われたいと願う心であり、南無阿弥陀仏と称える発心です。
この歌は、お念仏を繰り返す、念仏一会の前に唱えるお経
光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨
を分かりやすく歌にしたものです。
月は日中も空にあり輝いていることがありますが、太陽の光が強すぎて、気がつかないことも少なくありません。
人も幸せなとき、太陽のように燦々と輝いているときは、仏の慈悲には気がつき難いものですし、またそれほど必要でないかもしれません。しかし昼間があれば必ず夜があるように、人の人生も良い時もあれば悪い時も必ずあります。そういうとき、上を眺むれば必ずそこには月影が、佛の慈悲があることを伝えようとしているのです。