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P10402082016木札

 

P10402072016木札

龍蔵寺では、平成26年のお施餓鬼から、餓鬼供養のための卒塔婆を「盆施餓鬼」という木札にさせて頂きました。

お盆は餓鬼道に落ちた母親を救うというお経に登場する説話に基づく行事で、餓鬼への布施(なので施・餓鬼なわけです)、つまり利他、他人を幸せにする行為を通じ、我が子を慈しむあまり慳貪の罪にとわれた母親を救済しようとするものです。我が子を慈しみ育てるということさえも、仏の目から見れば罪になる、他人の子供を押しのけてでもという慳貪(もの惜しみ)の罪になる。すなわち、この世には罪を犯さずに生きていける人などいない、そういう我々がどうすれば救われるのか? という大テーマにつながるわけです。その答えの一つが、身近な父母への感謝と利他であると、施餓鬼の行事は教えてくれています。

お盆の行事は盂蘭盆(うらぼん、ウラバーナ、逆さづりにされる苦しみというインドの言葉)経というお経に書かれた説話に基づく行事で、こちらは自分の延命と健康を願う行事です。こちらは完全に自分目線、自利なのですので、こちらでもそのために餓鬼への布施(つまり利他)を求めています。

いずれも餓鬼への施し(つまり施・餓鬼)をテーマにしていることから、まとめてお盆の時期に行うようになりました。そこで木札の方も「盆施餓鬼 有縁無縁緒霊追善菩提」としています。有縁無縁緒霊追善菩提は、縁のあった方もなかった方も含めて、全ての人々が悟りを開けるように、今日行った私の徳行を差し出します、つまり利他します、という意味です。

ちなみにお施餓鬼の方は、開催の時期が指定されているものではありませんので、一年中いつ行ってもよい行事です。私が育った大阪の一心寺というお寺では、一年中施餓鬼の供養を受け付けています。

近年「幸福学」がブームですが、その研究から分かってきたことは、ある程度物質的な豊かさや収入が増えると、そこから先はなかなか幸福感が増えないということです。ではどうすれば良いかというと、他人を幸せにすることが、自分の幸福感を高めるにも効果的だと指摘されています。

我々からすれば、そんなことはお釈迦様の時代、2500年前からわかりきったこと思うのですが、そういうことさえ改めて学問として研究しなければならないところに、現代の混迷があるのかも知れません。そのことをしっかりと伝えていないお寺の怠慢でもあるわけですが。

今年は木札の右肩に「大丈夫ですよ」という一言を書かせて頂きました。仏教には無常迅速(本堂に大きな額があります)という言葉がありますが、これは物事はものすごいスピードで変化して、変わらないものは何もない、ということを言っています。大変なことや心配事があっても、対象はあっという間に変化する。そんなことに捕らわれていても仕方ないですよ、「大丈夫ですよ」。一所懸命に生きていれば、きっと上手くいきますよ。ということをシンプルに教えてくれています。

お暑いおりではございますが、ぜひお寺にも足をお運び頂き、そのようなことを再確認して頂ければと存じます。

施餓鬼の納めの法要は、例年通り8月22日(月)11時より開催いたします。平成25年まで行っていた、お寺で用意した卒塔婆を墓に持っていって頂いて奉るというのはやっておりませんが、布施された方々のお名前を全て仏前で読み上げて(なので今年はフリガナをお願いしています)、仏様に報告し、自利利他行の完成とさせて頂ければと思います。昨年の木札をお持ちの方は、本堂前に納めの箱を用意いたしますので、こちらにお返し下さい。

木札の取り扱いについては、こちらの説明書きをご覧ください。

皆様くれぐれもご自愛ください。

合掌 副住職

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