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楽しみそのものに実体はない。ただ苦しみのやんだ状態を楽しみという。同様に、苦しみにも実体はない。楽しみのやんだ状態を苦しみというのである。

一遍上人

一遍上人は法然上人の少し後にでた念仏聖で時宗の開祖です。毎日が常に臨終の時、つまり毎日いつ死んでもというつもりで生きよ、念仏せよ、という臨命終時 の宗で時宗といいます。

諸法無我は仏教の四つの重要な教え(四法印)の一つで、実体としての私、「我」の存在を否定し、すべては相対的な存在であるという真理を説いたものです。一遍上人の言葉は、そのことを簡単に分かりやすく説明しています。この頃は「自分探し」なるものが大流行ですが、そのようなものは無い、探しても無駄、といっているわけです。これまでの自分を振り返れば、どれほど自分が変化してきたかが分かるでしょう。これからも変化するはずです。今、これが「自分」だと見つけたとしても、明日にはそう思った自分さえ変化しているはずです。そのようなものを追いかけるのは全くの無駄であって、その関係性(因果)を理解することが大事。とお釈迦様は説いているわけです。
最近は幸福学というのも流行っています。それだけ幸福になることが難しくなっているのだと思います。アメリカの幸福学者・政治学者のロナルド・イングルハートは、幸福とは以前よりも豊かになったという相対的な状態の変化だとしています。お釈迦様も一遍上人も、イングルハートも同じとをいっていますね。

三丁目の夕日という映画はヒットしたのは、その変化がはっきりと分かる時代へのノスタルジーです。今は、映画の舞台の1960年代より遙かに豊かですが、昨日より明日、今年よりも来年、より豊かになっているという実感に乏しい時代です。むしろ、貧しくなるのではないかという予感(デフレとはそういうことですね)さえただよっています。そういう時代にモノや経済的な豊かさに幸せを求めても、多くの庶民は幸せになることはできません。しかし、自分はいくらでも変えることができます。今日よりも明日、明日よりも明後日と、より良い人間に変わることができれば、そのことで人はもっと幸せになることができる。そういうことをお釈迦様も一遍上人も教えてくれているわけです。