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法然上人の生い立ち

浄土宗をはじめたのは法然という修行僧です。上人というのは、徳のある高僧に対する尊称で、正確には「法然房源空」というお名前です。房というのは部屋という意味ですので、法然部屋の源空さんという感じなのですが、どちらかというとニックネームの方が定着してしまいました。古来、日本では名前は神聖なものでおいそれと口にしたりしないので(千と千尋の神隠しでもそうでしたよね)、そのまま定着したのかも知れません。法然上人が生きた時代は平安時代末期から鎌倉時代です。平安の貴族社会から武家社会への移行期で、大乱世といってよい時代です。法然上人の父親・漆間時国や家族もその争いの中で命を落とします。法然上人は父親の死をきっかけに出家したことになっていますが、父親の死は出家の後との異説もあるようです。いまわの際で、父親から仇討ちよりも出家して菩提を弔えと言われたとことが出家のきっかけと言われています。いずれにしても殺すか殺されるか、死と隣り合わせの世界から息子を遠ざけようとした親心があったのは確かなように思います。

専修念仏

法然上人の教えを書き出すと、何冊もの本になってしまいますので、ここでは簡単な紹介に留めたいと思います。詳しくお知りになりたい方はぜひ由木住職の本を読んで頂きたいと思います。

法然上人は比叡山で修行しますが、大変な秀才で末は法主かと周囲から期待されます。しかし法然上人はそれを嫌って比叡山でも更に山奥の黒谷という地に引きこもって修行を続けます。出家したのが九歳。比叡山に移ったのが十三歳。黒谷に引きこもったのが十七歳の時です。それから修行し続けること二十五年、四十三歳の時にある種の悟り(これを回心と呼んでいます)に至り、山を下ります。それから三十七年布教を続け、七十八歳で亡くなります。

法然上人の目的は、この乱世の世でどうすれば人は救われるのか、という問いに対して答えを見つけることでした。それは父親を殺され、母から、そして古里から離れざるを得なかった自分の苦しみでもありました。当時主流は自力の仏教、出家者は修行を積み、徳を積んで解脱、つまり現世での悟りを目指す仏教です。在家者は修行者に布施を行い、貧者を助け、悪を成さぬよう勧められていました。しかし実際の世の中は、源平の争いが絶たず、家々は焼かれ、人々は貧しく泥棒がはびこり、路上に死体が放置されていても誰も気にしない、という有様です。いったいどれだけの人が布施をすることができ、貧者を気にかけることができるだろうか。布施をする人がいなければ、出家者も修行を続けることはできません。このような世の中で、果たして自力の救済、悟りはありえるのか。悩んだ法然上人は過去の教えに救いを求めます。比叡山にあったお経を何度も読み返し、奈良にも教えを請いに出かけます。そうして辿り着いたのが他力の救済、すなわち阿弥陀仏による救済だったのです。