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梵網経にあるこのフレーズは、仏教の世界観からすれば当然の帰結といえます。
この世を生きる私たちも、この世に生まれるまで何十回何百回、何千回と転生を重ねた末であるわけで、その時の子孫も我が身内と考えれば、全ては父母・兄弟のようなものという結論になります。
親鸞聖人は歎異抄のなかで、

この親鸞は、亡き父母の追善供養のために、念仏いっぺんたりとも となえたことない。
なぜなら、すべての生きとし生けるものは、みな、生まれ変わりを くり返す中で、いつの世か、父母兄弟であったのだから。

と言っています。当時の仏教者の常識として、梵網経にあるような世界観を有していたわけです。
これを読みますと、現代人が過去の人々より進んでいるというようなことは、全くもって言いえないように思います。

さてこの梵網経にはいくつか種類がありますが、大乗仏教の経典は鳩摩羅什(クマラジュウ)によって漢訳されたとされています。仏教の登場人物は鳩摩羅什のように漢字が当てられているので中国人だと思いこんでしまいがちですが、育ちはウイグルあたりでインド系の僧侶です。インドと中国を結ぶ中継点にうまれ、後に長安(今の西安)にわたり多くの仏典を漢訳しました。三蔵法師といえば玄奘となっていますが、最初の三蔵法師(経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に精通した僧侶)とされ、玄奘とともに二大訳聖とされています。

数年前に、新疆ウイグル自治区を旅したさい、キジル石窟の前にある鳩摩羅什の銅像をみて、まったく予期していなかったことでしたが、かの聖人の活躍した地を訪れることができて、いたく感動してしまいました。

我々が読むお経の多くは、未だに玄奘や鳩摩羅什が漢訳した仏典が多くを占めます。そのような背景があることを念頭に、お経も聞いて頂けると良いのではないかと思います。