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「仏教に『機』という言葉があります。世間では『機が熟す』と言うと、好機やチャンスといった外側の状況を指すことが多いようです。しかし本来の意味は、その人自身の能力、そして『その人自身』のことを指します。ですから『機が熟す』とは、その人が成長して準備が整うことを、機が熟すというのです。

4月のお念仏の会では、悪人を友にするなという話を紹介しました。この話を別のところでしたところ、そういった悪人こそ手を差し伸べるべきではないか? と反論される方がいました。

お釈迦様の答えはこうだろうと思います。

悪人とは悪の道に誘う人の事である。救いを求める人は悪人ではない。

悪い方向に誘う悪人にもそれぞれの事情があるでしょうし、その状況に苦悩しているかもしれません。得てして間違った選択をしてしまって、状況を悪化させてしまったりもします。どのような選択肢を選べるかは、その人の『機』によります。機は、その人の過去と現在の行い、すなわち『因果』によって決まります。その人の現世や過去世にあった様々な出会いや行いがあり、その因果の帰結として、救いを求めるという今に至っているのです。救いを求める者はもはや悪人ではないし、そして幸いにも仏の教えに出会うことができれば、それは『機が熟した』と呼ぶべきだろうと思います。

たとえ尊い出会いがあったとしても、自分の『機』が整っていなければ、今は機を待つ『待機』となるしかありません。
しかし、仏教における待機とは、ただ手をこまねいて座っていることではありません。それは、縁が結ばれるその時まで、備えを続けることです。
自分にできることを丁寧に積み上げ、自分にできないことは大きな縁の流れに委ねる。
この『待つ』という時間もまた、人生における大切な修行のひとつなのだろうと思います。