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さる7月5日、新盆を迎える檀信徒による新盆法要を執り行いました。

龍藏寺では、8月のお盆の時期に、新盆を迎える加須市内の檀信徒には、ご自宅に伺いご供養をさせて頂いていますが、遠方、もしくはご不在の檀信徒には7月の第一日曜日に追善供養を本堂で行っています。

令和8年は25組約60名ほどの檀信徒がご供養されました。私たちにとっても先代住職の新盆です。また、今年は遠方の他寺の檀家なのだが、近くの寺で新盆を供養したいという方も参列されました。

お盆は毎年巡って参りますが、新盆を特に重要視するのは、あの世に旅だって初めての里帰りを丁寧にお迎えするため、と説明したりしますが、本当のところは、生きている私たちが心の整理をし、心の傷を癒やし、そして形は変わりますが共に生きていることを再確認するプロセスなのだろうと思います。

お盆の行事の元になった『盂蘭盆経』という経典には、雨季の間に僧侶が一カ所に集まって修行する安居(あんご)の最終日、七月十五日にお布施をし、お坊さんにご馳走すれば、その日はお坊さんの徳は海のように深く山より高く貯まっており、その功徳は計り知れないと書かれています。つまり布施をするなら一番お得というのがこのお盆になります。そしてそれは同時に僧侶がその布施に見合った修行をし、徳を積んでいるかを反省する日でもあるわけです。これを「自恣(じし)」といいます。

お盆はご先祖様、徳に母親の恩に感謝し供養する行事です。お経にはお釈迦様の弟子、目連の母親が餓鬼の世界に堕ち、苦しんでいる様子が説かれています。ではなぜ、優しかった目連の母親、罪があったとは思えない母親が餓鬼の世界に堕ちたかといえば、「我が子だけは立派に育って欲しい」という親の愛情が、すべてに等しく愛情をそそぐ仏の目からすれば、ものを惜しむ、慳貪の罪、執着にあたったからで、その結果、母親はものを得られない餓鬼の世界に堕ち苦しむことになったわけです。

由木先生がお元気だった頃、お施餓鬼の法要で次のような話をされました。

戦争が終わってまもなく、まだ皆が貧しかった頃、寺にはまだ食べ物があった。ある日学校から帰ると、ぼた餅(あんびん餅だったかもしれません)が用意されていた。ところが友達が遊びにくると、母親はその餅を隠して皆には食べさせなかった。そのことが由木少年はとても恥ずかしかった。しかし親が我が子のために必死になってなぜ悪い。親とはそういうものだろう。だからこそ、親の情愛を受けた子供は父母を救う必要があるのだと。

お盆の行事は、この餓鬼道に落ちた母親を救い出す供養を通じ、ご両親やご家族、ご先祖様への感謝、そして他者への慈しみの心を持つことの大切さを教えています。

さて、当日はお施餓鬼の木札の開眼も行いました。

お施餓鬼は自分の健康と長寿を願う行事です。「餓鬼陀羅尼経」には、お釈迦様の弟子の阿難のところに焔口という餓鬼が現れ、「おまえは三日後に命がつき、餓鬼の世界に堕ちる」と脅かします。その宣告に阿難はびっくりします。慌ててお釈迦様にどうすれば助かるのかと尋ねると、餓鬼への施しをすることで、寿命は延びて救われると教えられます。

いずれも餓鬼、つまり他者への慈しみが、自分が幸せになる近道であることを教えているものであり、夏の恒例行事として定着して今に続いています。

皆様にもよい夏が訪れますように! 

合掌 南無阿弥陀仏