
4月8日はお釈迦様の誕生日ですが、このあたりでは旧暦で数え、一月遅れの5月8日でお祝いします。
本堂前にて花御堂を設えて、お釈迦様の誕生仏を今年は5月3日から5月11日までお祀りしています。お釈迦様がお生まれになったとき、天の龍が甘露の雨を降らせという伝説から、お釈迦様が生まれたときのお姿を表した誕生仏に、甘茶をかけて子供達の健康と自身の無病息災を願います。
この誕生仏は、右手は天を、左手は地をさしています。生まれると同時に七歩歩いて、このポーズを取って口にした言葉が「天上天下唯我独尊」です。
七歩には、六つの世界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)での生まれ変わり、六道輪廻を抜けだして、悟りの境地つまり七つめの悟り世界としてこの世に誕生したことを意味しています。
この物語、そしてその時に発した「天上天下唯我独尊」は、この世で一番偉大であるお釈迦様を讃えるための言葉と思われることが多いですが、実際の意味は全く違います。
この文章の書き下しは、「唯だ、我、独(ひとり)として尊し」と読みます。自分に何かを足して尊くなるのではない、他と比べて自分のほうが尊いということもない。天上天下にただ一人の、誰とも代わることのできない人間として、誰もがこの命のままに尊いということの発見を表す感動の言葉なのです。お釈迦様が自分自身が一番偉いといっているのではないのです。
当時を考えますと、王族がおり、貴族がおり、厳しい身分制度がありました。生まれながらにして、身分の貴賤があり、みながそれに縛られ、それを当たり前と思っていました。その時代において、誰もがそのままで尊いという宣言は、過激というほかありません。
まだ現代社会においても、学歴のあるものないもの、豊かなもの、貧しい者、自分で頑張った者、運に恵まれた者不運な者。成功したように見える者を尊び有り難がる。折りにつけ差をつけようとするのは今もちっとも変わりません。
そのようなものは、自分に後から足したものであって、そういったもので人間が尊くなるのではない。何も足さない、ありのままの尊い自分を発見できた者が、真に尊いのだと、この言葉は教えているのです。
合掌 住職