お盆でご先祖様をお迎えする際の、依り代となる棚を盆棚と言います。四周を笹で囲い、マコモで棚を作り、ホオズキを提灯のように飾ります。マコモは邪気を祓い、笹は家族の成長と繁栄を、ホオズキは帰ってこられるご先祖様への目印となるものです。
棚には、ご先祖様の位牌を飾り、団子・そうめん・野菜・果物などを供養します。また、器に水を入れて洗米や賽の目に刻んだ茄子などを浮かべて餓鬼への供養とします。
このように準備した棚前に僧侶を呼んでお経を読んでもらうのを棚行(棚経)と言います。
お盆であの世からこの世に戻ってこられたご先祖様に、お釈迦様の言葉である経典を読んで聞かせて供養すると昔は勘違いしていました。ご先祖様は極楽浄土で阿弥陀様から直接指導を受ける身ですから、現世の生臭坊主の読経を有り難がるとは思えません。それでは、一体棚行とは何をしようとしているのか?
「お盆とお施餓鬼」に説明を書きましたが、お盆は餓鬼への施しを通じて母親、そしてご先祖様を救おうとする行事です。ですから、盆棚で供養されているのも、実はご先祖様ではなく、餓鬼ということになります。餓鬼への供養なので、水気の多い洗米や喉の通りがよい賽の目状に細かく切った茄子を用意するわけです。その餓鬼への説教と供養のために僧侶が呼ばれ読経がなされれ、そしてその功徳が遍く世界に広がり、餓鬼道に落ちた母親にも、極楽浄土にいるご先祖様にも届き供養となるわけです。
実は今日、棚行に伺った檀家さんから、「縁側に水鉢を置いたのだけど、これで良かったかしら?」と声をかけられました。その時はよく理解せずに「はい」と空返事をしてしまいました。あれは何だったんだろうと考えると、きっと次のようなことだったのではないかと思い至りました。
本来施餓鬼の棚である盆棚は、この世とあの世の境界である縁側や庭に設けられるものでした。「縁側に水盤を置く」というのは、まさに水も飲めない餓鬼への施しであり、古式に則った施餓鬼をされたかったのではないかと。
後からそのことに気がつき、そのことをちゃんと認めてあげられず、勉強不足で恥じ入っている次第です。
