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人の生を享けることはむづかしく、死すべきもの(人間)の生きることはむずかしい。
正しい教えを聞くことはむずかしく、目覚めた人たちはこの世に出現することもむずかしい。
(ダンマパダ)

しばらく更新をお休みしてしまいました。
大学の制度を使って、2ヶ月ほどバンコクのチュラロンコン大学にいたのですが、最後の一週間は、お休みを頂いてミャンマーのお寺で瞑想修行をしていました。
ミャンマーは大変熱心な仏教国です。チベットから中国、韓国を経て日本に伝わった北伝仏教とは異なり、インドでのお釈迦様の教えを原型に近い形で今に伝えています。特にミャンマーは、瞑想に関しては19世紀から20世紀の初めに優れた指導者が多く現れたこともあり、世界の瞑想の中心地となっています。最近、GoogleなどのIT企業で、生産性を高めるリラックス技術として「Mindfulness(マインドフルネス)」に注目が集まっていますが、これも南伝仏教の瞑想技術を取り入れたものです。

私が修行したのはヤンゴンの中心部から車で30分ほど北に行ったところにあるチャンミー瞑想センター。外国人も受け入れてくれる数少ないお寺の一つです。私が入門したときには、日本人が3人、台湾人が1人、カンボジア人の若者が2人がいました。他に女性修行者のフロアもあり、何人かの比丘尼もいたようなのですが、基本的には会話禁止なのでよく分かりませんでした。

もちろん、男性修行者同士も、基本的には会話禁止で、素性などよく分からないのですが、ほど同時期に入門したAさんとは、聞法の時間が同じで少し話すことができました。

日本には帰らない覚悟のAさんからすると、体験入門的な浅はかさに少々呆れた様子でしたが、普通はそのような希望者を受け入れないチャンミーが受け入れたことなどを前向きに捉えて、これも前世からの縁であろうと、動機などを少しだけ教えてくれました。

Aさんは関西で新聞記者を長く務め、仏教関係の連載を担当したこともあり仏教に関心を持ち、まさしく「人の生を享けることはむずかしい」のに、人として折角生まれたのだから、とパーリ語の勉強を始め、南伝仏教の方が正しいとの確信をもって渡緬されたとのこと。まさに林住期を体現されているようでした。

カンボジアの若者が、外国人棟にいるのも少し不思議なのですが、ミャンマー語は語感が広東語に似ていて、カンボジア人には全く分からないそうです。村人がお金を出してくれたようで、「阿羅漢」になったら地元に帰るんだと屈託無く(とわいっても、私語禁止のなかでひそひそと話しているのですが)言う軽さが、対照的で非常に面白く思いました。