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心が変われば 態度が変わる
態度が変われば 行動が変わる
行動が変われば 習慣が変わる
習慣が変われば 人格が変わる
人格が変われば 運命が変わる
運命が変われば 人生が変わる

出典については諸説あるようですが、手元の本には「ヒンズー教の教え」と出ています。
その横には松井秀喜の座右の銘とも書かれており、こちらの方が有名なのかも知れません。
ヒンズー教の経典には、実際このようなフレーズは無いようで、各地に伝わる家訓的な伝承と考えるべきでしょう。

最初と最後を結べば、「心を変えれば → 人生が変わる」

となって、人生を変えるのなんて簡単!
となるわけですが、実際「心を変える」のがどれほど辛く難しいか、ある程度人生経験を積んだ方であれば、よくお分かりかと思います。
心を変えざるを得ないほどの衝撃的な出来事、事件にでも遭遇すればありえないこともありませんが、普通の人はそういうことをなるべく避けて、平穏に生きたいと思うものですし、実際平凡なものです。一方で、より良い人生を送りたい、より良い人間になりたい、人生を変えたいと欲張ってしまうのです。そこに人生の苦悩があるわけです。

法然上人が生きた時代は、逆に衝撃的な出来事の連続です。世は戦乱の真っ最中。富士山、浅間山、伊豆大島、霧島山が次々に噴火して地震が頻発、京都も鎌倉も大地震に見舞われます。良く生きたいと願っても、悪に手を染めなければ生きてゆけない、そんな時代でした。この世ではどうしようもなかったけれどもせめて来世はより良く生きたい、そのためにには今を良く生きなければならないのに、そうもできない。背景は違えども人は同じく苦悩し救いを求めていたわけです。

法然上人は、長い修行の末に、念仏を通じた阿弥陀仏による救済にたどり着きます。
阿弥陀仏の救済とは何か、簡単に言ってしまえば、昔、もし自分が修行の末に成仏して仏になったら、自分に救いを求める人はみんな救ってやる! といった修行者がおられ、それが成功したようなので、それに縋ろうというものです。なんとも他力本願(この言葉はこれが由来)で、いい加減な話なのですが、比叡山で一番の秀才、あらゆる仏の教えに通じたと言われる法然上人がこれしかない、と仰ったわけで、そんないい加減な話であるはずありません。
修業時代は法蔵、成仏した後は阿弥陀仏となった人が実際にいたのか、あるいは何か大きな存在(Something Great)の象徴として阿弥陀仏を描いたのかは意見が分かれるところですが、いずれにしても法然上人は体験的に阿弥陀仏の実存を確信し、その存在と救済を信じる証として名前を唱えることが、その存在に一歩近づく、より良い人間に変わっていく原動力となることを発見したのだと思います。

現代社会においては、阿弥陀仏の救済を信じるのはなかなか大変です。
一方で、自覚的に何某かの救済を求める人は多くいます。
そこをつなげるのが、念仏という行動なのではないかと思います。
Something Great の存在を少しでも認める自分を、念仏、仏の名前を唱えるという形で自分に対して公にし、変わりたいと願う。
それが念仏ではないかと思うわけです。つまり、

念仏を唱えれば 心が変わる。
心が変われば 態度が変わる
態度が変われば 行動が変わる
行動が変われば 習慣が変わる
習慣が変われば 人格が変わる
人格が変われば 運命が変わる
運命が変われば 人生が変わる

ということなのではないか、と思うわけです。

 

合掌
副住職