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先日、とある自治体が、産休に入った女性に対し、家に居るんだから保育園に子供をあずける必要がないでしょう、という理由で、0歳~2歳児の継続利用を認めないという判断をしたのに対し、元の園に戻れるか不安、友達と別れることになり可哀想、少子化対策に逆行等々といった理由で、判断を代えるよう市を訴えるというニュースがありました。
なかなか難しい問題です。この自治体では待機児童がまだまだ多く、より切実な女性を支援するという視点からそのような判断をしたのだと思います。一方で、家にいるとはいえ出産を控えていろいろ大変で、いざ出産となれば体調や育児もそれは大変で、できれば子供を預け続けたいという気持ちもよく分かります。しかし全体としてみれば、待機児童を優先した市の判断は妥当であろうと思いますし、訴えた女性らも行き過ぎだと思います。訴えた女性達が勝訴したとしても、待機児童を抱える多くの家族は反感を持つでしょうし、社会の分断がより進むように思います。もう少し上手くやれる方法が有ったのではないでしょうか。

もうじきお盆の季節がやってきます。お盆は「盂蘭盆(うらぼん)」の略ですが、これは古代インドの言葉であるサンスクリット語の「ウランバナ(逆さに吊された苦しみ)」から来ています。ある時、釈迦の弟子木蓮は修行の末、死後の世界を見通せる神通力を獲得します。その力を使って自分の母親がどうなっているのかを見てみると、なんと餓鬼道に落ちて痩せ衰えている姿が目に入ります。やさしかった母がなぜ餓鬼道に落ちてしまったのか。木蓮は釈迦に聞きます。おまえの母親は、おまえに愛情を注ぐあまり、おまえを育てるために廻りの人を押しのけてしまった。慳貪(ものを惜しむ)の罪により餓鬼道に落ちてしまったのだと釈迦は答えます。どうすれば母親を救うことができるの・・・・。

このようにお盆の由来となる物語ははじまります。

生きていくことはなかなか大変で、きれいごとだけでは済まないことも多々あります。だからといってそれが全面的に正しいわけでもないし、罪がないわけでもない。
だからこそ我々は、日々周りの人々に優しくし、徳を積んで罪滅ぼしをするか、仏の救済にすがるしかない。
そういうことを昔の人は強く自覚していました。

盂蘭盆経では、7月15日、梅雨の間、寺に籠って修行していた坊さんたちに布施すれば特に功徳が大きいとして、この時期に供養することを勧めます。旧暦の7月はおおよそ現在の8月ですので、当山では8月にお盆の法要を行いますが、お経通り7月にも行っています。父母(まあこの際、父親分も一緒に)の恩への感謝を捧げると同時に、他者への感謝や布施(他の人を幸せにすること)を特に心がける期間として頂ければと思います。

合掌 副住職