TEL:0480-61-0850
FAX:0480-62-7900
info@ryuzoji.jp

貪欲と嫌悪とは自身から生ずる。
楽と不楽と身の毛のよだつこととは自身から生ずる。
もろもろの妄想は自身から生じて心を放つ。
あたかも、子供らが鳥を放つように。
(スッタニパータ)

スッタニパータというお経に収められた一節です。最も古いお経の一つとされていますが、南伝仏教系のお経で明治になるまで日本には伝わりませんでした。なので漢文調の名前がついていません。「スッタ」がお経、「ニパータ」は集まり、という意味でお釈迦様の言葉を集めたものという意味です。内容的には修行の進んだもの向けの、やや厳しい内容となっています。

一遍上人の言葉の所でも書きましたが、お釈迦様はこの世界を諸法無我と捉えました。実体のない相対的なものと理解したわけですが、その帰結として世界は自分の置き所、ポジションによって変わる、あるいは変えられるということになります。そもそも実体がないので相手を変えることはできない。しかし自分が変わることで世界を変えられることができると考えたわけです。

日々の暮らしの中では、気に入らないこと、悲しいこと、怒りを憶えることが多々あります。四苦八苦の一つに、怨憎会苦というのがあります。これは憎たらしい相手に会わないといけない苦しみのことですが、四苦の生老病死に比べると、やや軽い印象を受けます。しかし、こういった苦しみが鬱の原因となり、しばしば人を死に至らしめることを考えると、やはり重い苦しみなのだと理解できます。

こうした怒り、嫌悪、不快の原因を、人は外に求めがちです。あの人が悪い、気が合わない、仕草が嫌い、理解してくれない。そういって他の人を非難します。しかしそうやって原因を他に求め、非難し、変えようとすることで、状況はよくなるでしょうか。仏道では物事の因果を突き詰めます。今風にいえば、ロジカルシンキングといえるかもしれません。怒り原因を、その対象から一歩進めて考えると、原因はそれを怒るべきことだと認識している自分にあることが分かります。怒りも、嫌悪も、楽も不楽も、全て自分の心が作り出している。こう理解できれば、そこから脱する方法は簡単で、その場を離れる、あるいは考え方、マインドセットを変える。つまり自分が変わることで解決できることが分かります。これはいうことを聞かない他人を変えるより遙かに簡単ですが、実際はなかなか難しことです。

今の世の中は、自分が変わることを「負け」だと思うように仕組まれています。他人を屈服し、勝利することが人生の成功だと。自分の理想を描き、それを達成できない人は「負け組」だと。実際のところ、それでは殆どの人が敗者になってしまいます。そのような仕組みが果たして正しいのでしょうか。

お釈迦様は、そういったことに左右されない、穏やかで揺るぎない平安を得ることを勝利だとしています。それは全ての人が自分次第で得られる勝利です。そのためには、社会の常識を疑い、改めて因果を確認するところから再出発しなければならないのかも知れません。時として真理は反社会的です。だからこそお釈迦様はこのスッタニパータでも、「犀の角(一つ、あるいは孤独の象徴)のようにただ独り歩め」と繰り返し述べているのです。