ご法事のお経の構成

先日、家内の実家の法事がありました。
家内の実家は、元々は禅宗の檀家だったのですが、お祖父さんの代で嫌気がさして離檀し、それからは神道をもって先祖供養を続けています。
この時の法事は、神主さんに家まで越し頂き神事を行ってもらいました。
神主さんはまず祭壇を整え身支度を済ませると、家族を集めて式次第が書かれた紙を配り、今日の神事がどういうものであるか、順に説明を始めました。ふむふむと聞いていると、最近は寺の法事も何をやっているのか全く分からずにやられてますから・・・、知ってか知らずかチクリとするようなことを挟みつつ、5分ほどで説明は終わりました。
神事も法事も、儀式というものは似ているものだなあと感心しつつ、そのご批判ごもっともと頷いていたわけです。
おそらく昔はもっと、法事もお寺も身近なもので、法事のお経の中身もよく分かって聞いていたのかも知れませんが、確かに我々からしても、何を「ほがほが」と言っているんだろう? と思われているだろうな~ という自覚は実はあったりするわけです。
例えばキリスト教の教会では、賛美歌の歌詞も書かれた式次第が入り口で配られたり、椅子の背中の聖書が入っているスペースに置かれたりしています。以前、共同研究をしていた富山の大工学校では、上棟式などの儀式にナレーションを付けてやっていました。いずれも、儀式に対する知識や感度が落ちてきていることを実感しての対応だと思います。
お寺の方でも(というか小生)も実はあれこれといろいろ考えてはいるのですが、これがなかなか難しい。
法事が始まる前に、あれこれと口頭で説明するのは少々場違いな感じがしますし、紙を配っても合掌が基本の仏事では紙の置き場に困ってしまいます。龍蔵寺では本堂も椅子式ですが、しまうようなスペースはありませんから、不安定なももの上に置くか、床の上に置くしかありません。ご焼香の時間もありますし、見たりしまったりするには面倒です。ナレーションもねえ~。
もうちょっと考えます。

さて、折角こういうことを書きましたので、法事の時のお経の構成が、どういうコンセプトに基づいて作られているのか、簡単にご説明しておきたいと思います。こういうことが少し予備知識としてあるだけでも「ほがほが」が少しでも解消されるかも知れません。

法事のお経は、3部構成になっています。
1. 道場を清め、身支度を調え、仏様を招来するパート
2. お経を聞き、また念仏などを唱え、焼香するることで功徳を回向するパート
3. お帰りになる仏様をお見送りするパート
それぞれのパートはざっくり言ってこういう役割になっています。

ここでは、それぞれのパートの代表的なお経とその役割を紹介しましょう
1.  道場を清め、身支度を調え、仏様を招来するパート

  • 香偈(焼香をして道場をお清めします)
  • 三宝礼(仏様と仏様が説かれた真理、そして僧侶を信じると宣誓します)
  • 三奉請(仏様を道場に招来します)
  • 懺悔偈(これまでの行いを仏様の前で懺悔します。「さんげ」と聞こえたらこれです)

これで道場も自分の心も清くなり準備OKです。
それからパートとパートの間には必ず十念(ゆっくりと南無阿弥陀仏10回)が入ります。

2. お経を聞き、また念仏などを唱え、焼香するることで功徳を回向するパート

  • 開経偈(これから大切なお経を唱えますよ~。という前ふり)
  • 誦経(法事によって異なったお経を読みます。誦経の間にお焼香)
  • 回向文(法事に応じた祈りの言葉です。早口の十念で締めます)
  • 摂益文(お念仏への賛嘆)
  • 念仏(浄土宗の法事としては一番大事な部分。念仏を唱え、阿弥陀様の救済に感謝を捧げます)
  • 総回向偈(仏の教えを信じ、極楽に往生すること宣誓)

ここでもマーキングの十念が入ります。
3. お帰りになる仏様をお見送りするパート

  • 総願偈(他人もみな一緒に極楽に往生できるよう祈ります)
  • 送仏偈(お疲れ様でした~ )

というような構成になっています。
こう書きますと、実は法事というものは、お経を聞くという受動的なものではなく、祈りを中心とする能動的な儀式であることが分かります。
ぜひ、次回のご法事の際は、このことを心に留め、祈りを捧げて頂ければと思います。

副住職 合掌

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