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 小さい頃、親父の母方の先祖は会津藩士で、白虎隊の生き残りだった、なんて話を聞かされて、ちょっと誇らしく思ったりしていた。実際のところ、会津の親戚との付き合いはないし、行ったことも一度、それも学会でしかない。それでもやはり、福島にはシンパシーを感じるし、加須が双葉町を受け入れてくれたこともとても嬉しい。
先日、親父から「記憶」と題された小冊子をもらった。15年ほど前、記憶がはっきりしている内に、昔の話を、ワープロの練習として書き留めたのだという。5歳で迎えた上海での終戦とそれに続く引き上げから、大学入試までの記憶、家族のこと、親戚から見聞きしたこと、等が50ページほどにまとめられている。よくもまあ、こんなことを憶えているものだと感心する。僕の方は、幼稚園の記憶はほとんどなく、小学校ですら低学年の出来事がちらほら。とにかく、父方の母方は・・・とか、母方の叔父は・・・とか、やたら詳細にでてくる。
その中に、先のご先祖さまも登場するのだが、これがちょっと記憶と違う。このご先祖さまは、親父の母親の祖父。僕からすると曾曾祖父さん。青木往晴という会津藩士で青龍隊に属したという。ネットで調べてみると、青木往晴は会津戦争後に斗南藩への転封に同行し、下北半島に入植している。その後青森県や神奈川県の役人になった。「む! 斗南藩?」。先日、会津藩士の苦難を特集したテレビに出てきたところではないか? 大間原発がある辺りである。なぜ福島にあれほど多くの原発があり、またぞろ大間に原発があるのか、明治以来の苦難の歴史を扱った番組なのだが、ご先祖さまはなんとその斗南藩出身だったのだ。う~ん、迂闊だった。
その青木往晴の息子「秀」が、同じく会津藩士で白虎隊よりさらに若い幼年隊にいた浜崎芳雄の養子となり、浜崎秀となる。これが父方の母方の曾祖父さん。そういう意味では、白虎隊の生き残りという記憶もまんざら外れではないが正確でもない。養子先の浜崎芳雄という人は、会津出身にも関わらず検事や判事をやった人で、台湾高等法院では腐敗に抗議して辞職したりしている。う~ん、正義感の強いご先祖さまだ(ただし、血のつながりは無し)。ググっている間に大隈重信に出した手紙が早稲田大学の図書館に保管されていることも分かった。折角なので今度見に行こう。浜崎秀は東大を出て伏見の酒蔵・大倉酒造(月桂冠)に技師として務め、初代研究所長をしている。テクノクラート系な血筋はこのあたりから来ているのだろうか。
親父の「記憶」も、戦後の大変な時期に、こういう親戚筋を頼って伏見や善通寺(父方の実家)やらを行き来しており、そういう時に見聞きしたもののようである。衣食住に苦労したこと、引っ越ししたこと、友達との別れなど、それだけ強烈な出来事だったということか。
同じようなものを書いてみようかとふと思うのだが、面白いエピソードがない。つまらん人生だとは思わないが、まだまだ苦労が足らないということか。


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