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境内の桜 一昨年に一本枯れて、これは生き残り
その後二本植樹


大学も昨日が入学式でした。
このところ、桜の開花が早く、入学式まで桜が咲いていることは少なくなりました。今年の新入生は、幸いに満開の桜の下で、入学式を迎えたようです。

桜を見ると思いだす西行の辞世の句があります。

願はくは 花の下にて 春死なむ そのきさらぎの 望月のころ

如月は2月。望月は満月の事ですので、旧暦の2月15日になります。今年の新暦に直しますと3月18日ごろ。この句の通り、西行は2月16日に大阪で亡くなりました。大阪の今年の桜の開花宣言は3月23日でしたので、今年だったら西行は桜を見られなかった。

もちろん、西行のころにソメイヨシノはなく、山桜でしたので開花はさらに遅いはずですが、平安時代末期は非常に温暖な時期でしたので、桜の開花はもっと早かったのかも知れません。
(※だから兼好法師は家は夏を旨として作れ、と書いたわけです。)

ご承知のように、如月の望月、2月15日はお釈迦様の命日です。西行はそのような日に、美しい桜の下で死にたいと願い、そしてそのとおりとなりました。

しかし考えますと、そんなタイミング良く人は死ねるものでしょうか。

山折哲雄は、断食などを通して調整したのだろうと推測しています。西行は73才で亡くなります。平安時代の人としては、極めて長寿です。老いゆく中で、どのように死ぬかと悩んだ末、先の句を読みました。当時の坊さんには死期が近づくと、徐々に炭水化物を控え、一日断食、二日断食 といった緩やかに断食を増やし、体力が衰えてもう1週間くらいかなというところから水断ちをする。そういう死を選ぶことがよくありました。そういったときには阿弥陀様が迎えに来るような幻覚もよく見たようです。それが本物にせよ、幻覚であるにせよ阿弥陀様を見た人々は喜び、安心してあの世に旅立ったといいます。

翻って現代社会は、長寿にはなりましたが、とにかく死にたくないという思いに皆とりつかれています。最後は延命治療や認知症で、本人の意識は無いということも珍しくありません。どのような死が、自分に取って尊厳ある死であるのかを選べた、という意味では、平安時代のほうがむしろ自由だったといえるかも知れません。