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コロナ禍による影響の1つに、家族による弔いができないということがあります。
コロナの毒性がよく分からない当初、念には念をということで、より安全側の慎重な対策が取られたのも理解出来ます。しかし毒性もさがった現在においても、コロナで亡くなった方の弔いの扱いは、令和2年7月に厚生労働省が出したガイドラインが未だに最新で、納体袋での葬送が未だに行われています。実際のところ、遺体からの感染リスクはゼロではありませんが極めて低いと言われています。実際の報告はほとんどありません(※ タイの論文で、初めてのケースという報告を見つけました)。現時点では過剰反応といわざるを得ません。

葬儀にはいくつかの意味がありますが、その一つに故人の冥福を祈ることがあります。冥福とは「あの世での幸せ」ということで、死が終わりではないとする仏教の教えを端的に表しています。一方、キリスト教では「安らかにお休みください」つまり永眠となります(特に正教会。カトリックやプロテスタントでは帰天や召天という)。地獄行きを免れた人は、最後の審判まで眠って待つ(その他の教義もある)という意味ですが、共に死後の世界を置きながら、死後も仏様の世界で修行を継続する仏教と、抽象度の高いキリスト教の違いがよく現れていると思います。

仏教ではあくまでも個人の修行を重視し、個人の行いの積み重ねと成長が、自分の未来と世界を変えるという考えで、それは死後も続くことになります。

だからこそ、これからも続く故人との関係を見つめ直し、あの世での修行の成功を祈る、つまり冥福を祈る葬送の場は、故人にとっても、また遺族にとっても大切にすべきものだと思うのです。

8月になり、お盆の季節となりました。
なぜ故人がお盆に帰ってくるのか? 実は仏教としての根拠は定かでありません。お盆の根拠とされる盂蘭盆経には、餓鬼道に落ちた母親を救う物語が語られてはいますが、ご先祖が帰ってくるという描写はありません。そこは素直に、日本人の感覚として、冥福を祈られたご先祖様方が、年に一度お礼に訪ねてくる、そしていずれは自分もその列に加わりたいと願う気持ちを大切にすべきではないかと思います。