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法蔵は四十八の誓いを立てましたが、法然上人が注目したのは第十八番目の誓いです。折角ですので漢文の原文を読んでみましょう。

設我得佛 十方衆生 至心信樂 欲生我國 乃至十念 若不生者 不取正覺

現代語訳すると「もし私が仏になることができれば、心から私のことを信じ、私の浄土に生まれ変わろうと願い、私の名前を十回唱える者は、必ず私の浄土に転生するだろう」(最後の部分は逆説的に書かれていて、少々分かりにくいので意訳しています)となります。この浄土に転生することを往生といいます。浄土では直接阿弥陀仏の指導を受けることができますので、必ずほどなく成仏できる。他力は成仏を二段階とすることで、凡人・凡夫でも救われる、成仏できる道を開いたのです。しかし誰でもという訳にはいきません。一つ条件がついています。至心信樂・心から阿弥陀仏を信じ、その証として名前を唱える、つまり念仏を唱えることです。

それまでの仏教でも念仏は大変重要な修行と位置づけられていました。朝題目 夕念仏と言われるように、比叡山でも朝は南無妙法蓮華経と題目(お経のタイトル)と唱え、夕方には念仏を唱えるという修行が行われていました。念仏も数多くある修行の一つだという位置づけです。もちろん法然も実践したことでしょう。しかしこのような修行で自分が救われ得るのか、成仏することができるのか、法然上人は自問自答を続けたようです。

法然上人の苦しみがどのようなものであったか、正確に伝えるものはありません。父親の死、その父が冒した罪。母親との別れ。そして庶民が戦乱に苦しむのを横目に成仏を願う自分。法然上人が辿り着いたのは、智恵一番と言われた法然上人でさえ悪行を冒さずには生きていけない現実と、それを自分の力では乗り越えられない凡夫としての自覚だったのです。

そのような深い自省と全てのお経を読み返す生活の中で、法然上人は善導という中国の僧侶が書いた「観無量寿経」の注釈書を手に取ります。四十八願が説かれた観無量寿経自体は何度も目を通したはずですが、その注釈書には、第十八誓願の新しい解釈が書かれていました。先ほど書いたように、阿弥陀仏の救済の対象になるには条件があります。至心信樂すなわち心から阿弥陀仏を信じるということですが、これは信仰を持つということですので、実際はなかなか難しい。ところが善導は、心に信仰が定まらなくとも、念仏さえすれば必ずその救済の対象になると主張したのです。誤解を恐れずに自分なりの解釈を書きますと、心に定まった信仰が無くても、たとえ騙されたのであったとしても、念仏を口にするということはそこに信仰の種・縁があります。救われたいという思いがあると言ってもよいでしょう。念仏を繰り返すうちにその種は育ち、阿弥陀仏を信じる本当の信仰へと成長していく。善導はこのように阿弥陀仏の救済の道筋を、愚かな凡夫でも実践可能なものへと落とし込んだのです。

法然上人はこの本に出会うことによって、自分が救われる道、そしてそれは自分の罪に苦しむ多くの人々を救う道を発見するのです。法然上人はこの道を専修念仏と呼ばれました。

法然上人はこの発見を人々に伝えるべく比叡山を下ります。既に高名な僧侶となっていた法然の元には救いを求める多くの人々が訪れます。法然の教えは、当時の人々には衝撃的なものであったと思います。そして爆発的に人々の間に広がって行くのです。

当然ながらこのような教えは、これまでの自力をベースとする仏教を否定する訳ですから、他の仏教者の猛烈な反発に会います。法然自身は否定していないと説明するのですが、信者や支援者を失う形になった既存の仏教集団は攻撃をやめません。法然上人とその弟子達は、激しい攻撃や迫害に会いますが、それを乗り越え教えは多くの浄土系宗派に受け継がれ、今日も多くの方々の救いのよすがとなっています。