四諦

お釈迦さまが中道の次に説いたのが、四諦(したい)という世の中の真理についてです。諦は聖諦の略、聖諦は聖なる真理というような意味です。つまり四諦とは四つの聖なる真理という意味で、苦諦、集諦、滅諦、道諦のことです。

 

苦諦は「人生は苦だ」という真理です。ある時は幸せでも、いずれはそれも薄れ消えていく。永遠の幸せや物、人はおらず、全ては変化している。愛する人とも必ず別れがあり、一度得た物もいずれは手のひらからこぼれ落ちる砂のように消えていく。人生皆苦。全ては苦に至るという真理です。

集諦は、苦にも原因があるという真理です。強欲、怒り、無知、そして渇愛もまた苦の原因となります。因果応報。物事の全てには原因があり、苦も例外ではありません。

滅諦。苦にも原因があるなら、その原因を解消すれば、苦から必ず解放される。苦から解放された状態を「涅槃」といいます。そこに涅槃があり至れるという真理です。

道諦。そしてこれが一番大事なのですが、道諦は苦を解消し涅槃に至る道、方法があるという真理です。その具体的な方法は八正道と呼ばれています。全ては苦であり、苦には原因がある。つまり全ては関係性の中に存在し変わらぬ実体はありません。ですから結果は原因を変えれば変えられる。

日本人が自分探しに彷徨ってしまうのも、この真理を理解していないからではないかと思います。自分もまた関係性の中の存在であり、変化し続けています。そのようなものを追い求めても仕方ありません。この関係性にこそ意味があるわけです。考えてみれば当たり前のことで、仮に自分探しの結果、素晴らしい歌の才能があったとしても、芸能界という産業が成立している社会でなければなんの役にも立ちません。「世界で一つだけの花」という歌がありますが、世界に一つしかない花は、欲しがる人もいませんので、結局役に立たちません。

一方西洋では、自己(Identity)の確立をうるさくいいます。この自己というのも全くのフリーハンドで確立するのではなく、突き詰めるとどうやら「神」と関係性の中でどう自分を位置づけられるか、という問題のようです。西洋文化の基底にキリスト教という絶対的な善の存在があり、その神と救済の契約(聖書についている新約は、新しい約束という意味です)をした際に負った義務。その枠組みの中でどう自分を位置づけるかという自分探しなのです。

 

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