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さる10月14日に、

林宏一先生  (岩槻人形博物館元館長)
岩佐光晴先生 (成城大学教授)

をお招きして、倶会堂にて報告会を開催しました。
約40人の檀信徒、市民の方が参加され、修理の内容、また来歴についてお話を頂きました。

なぜ、龍蔵寺にこの佛様がいらっしゃったのか?
という謎は解けておりませんが、しばらくは歴史のロマンとして、いずれ判明するときを待ちたいと思います。

※補足
この阿弥陀如来像が、利根川の北側、佐貫荘の舞木周辺で作られた事は分かっていますが、それがどのような経緯で利根川の南側、加須の龍蔵寺にたどり着いたかは分かっていません。岩佐先生のご講演でも、佐貫荘内で活発な人の交流、仏像の移動が行われていたことは紹介されましたが、川の南側との関係は明らかでありません。
ではさて、加須がある南側は、誰の荘園だったのかを調べると、太田荘であることが分かります。
この太田荘の別当であった太田氏も藤原秀郷の系統とされるので、佐貫荘とおなじ系統、親戚筋ということになります。とすれば、人の交流も佐貫荘と同様にあったはずです。
ちなみに舞木は現在の千代田町ですので、その少し下流には利根大堰があり、現在は葛西用水などにつながっています。古代には会の川が流れていた所ですので、加須との行き来は船ですぐだったはずです。
龍蔵寺が属する寺の組には羽生新郷の法性寺というお寺があります。車でも20分はかかりますので、徒歩だと相当行き来は大変だったろうと思うのですが、このお寺も会の川沿いにありますので、船で行けばすぐ、という関係だったのかも知れません。新郷と千代田町は目と鼻の先にあります。

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