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心痛はしてはならぬ。が、心配は大いにせよ    山本玄峰(臨済宗 禅僧)

将来が心配だ、体の調子が心配だ、感染症が心配だ、とこの世は心配事だらけです。
ですがこれらは本来心配とは言わず、正しくは心痛と言うべきです。

心配とは字のごとく心を配ること、心を与えることです。
苦しみや困難を抱える人を、思いやらずにはいられず湧き起こる慈悲の心を砕いて分け与えることです。なので心配はどんどんした方がよい。心配は誰でもできる施しでもあるわけです。

一方、あれやこれやと自分事で悩む心痛は、こちらも字のごとく心を痛めつけているだけで、必要以上の心痛は控えるべきです。心を弱らせる心痛は「苦」以外の何者でもありません。苦の原因を深く探り、どのようにすればその心痛から逃れる事ができるのかを考えるのがお釈迦様の教えであり仏教です。

心痛はしてはならぬ。が、心配は大いにせよ。