幸せの見つけ方


龍蔵寺ではなく自坊でのできごと。
本堂での法要が終わりお墓参りをしている時に、大切なイヤリングを落としてしまった檀家さんがいました。住職も一緒に探したのですが、見つかりません。しばらく探したのですが檀家さんも申し訳なさそうで、「もう大丈夫ですので」と言って帰られてしまいました。
ところがその日の夕方、いつものように墓地のゴミを集めていると、何やら地面に西日が反射してキラキラと光るものが! 昼間にはどうしても見つからなかったイヤリングが、西日のおかげで檀家さんの手元に届けることができました。失せ物が偶然出てきたという話ですが、西日によって見つけることができたとなると、私たち浄土宗の坊さんからすれば特別な意味を感じます。「西」の方角は阿弥陀様がお造りになった浄土、「極楽浄土」があるとされる方角です。また、阿弥陀様には、無限の光を放つ仏様という意味もあり、住職はこのことを「極楽の阿弥陀様のおかげだ」と嬉しそうに話していました。


このできごとを、単に探し物が「偶然」出てきたとみるか、それとも仏様とのご縁を感じるかは、人によって様々だと思います。しかし、後者の受け取り方をすれば、失せ物が出てきたことに加え仏様とのご縁も感じられるのですから、その喜びはより大きいものになります。
心持ち一つで、同じ出来事からより大きな幸せを得ることができる。単に偶然で終わらせてしまうよりも、自分の中で素敵だなって思えるような捉え方ができれば、日々の生活により彩りが加わるかと思います。普段はなんとなく見過ごしてしまうできごとからも、少し心持ちを変えればちょっとした幸せを感じられるのではないでしょうか。


最近、ニュースを見ていると耳を塞ぎたくなるような話ばかりで、憂鬱な気分になりがちです。そんな時だからこそ、日々の生活の中でちょっとした幸せを見つけられるトレーニングが必要なのかも知れません。案外、幸せっていうのは身近にあるかもしれませんよ。


合掌 見習い